| ■16 / ResNo.1) |
何人(なんぴと)たりとも【Phantom -PHANTOM OF INFERNO-】
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□投稿者/ 脳味噌ド腐れキモオタ管理人 -(2024/11/10(Sun) 19:17:48)
| 一日三時間は車の運転をする事――。
それが、アインから課せられた課題の一つだった。 鉄道の無いロスでは、車は生活必需品である。 運転技術は元より、網の目のように張られたハイウェイの地図を頭に入れて おかないと、この街で生活することは困難極まりない。
雲が何個か浮いているものの、良く晴れた日。 僕は中古のゴルフを駆って、ロスのハイウェイを疾走していた。 車の運転は自習課題とは言え、今日みたいな晴れた日に車を走らせるのは嫌 いではない。
シートから伝わってくる振動が、開け放った窓から流れてくる風が、僕の心 を躍らせてくれる。 望まずしも殺し屋となってしまった、今の僕の数少ない楽しみだ。
今日は比較的道路が空いていた。 もう少し飛ばしてみようか? ――と思った矢先、後方からまるで肉食獣を 思わせる咆吼がしたかと思うと、真紅のスポーツカーが唸りを上げながらゴル フの横を通り過ぎていった。
かなりのスピードだ。 200キロは出ているに違いない。 しかし僕を驚かせたのは、そのスポーツカーの色でもなければ速度でもない。
女の人?
運転しているであろうドライバーの姿だった。 運転席に座っていたのは女性だった。ブルネットの。
そう言えば、確かクロウディアがそんな髪だっけ? …まさか…な。
心の中である仮説を立て、すぐに打ち消す。 その時、胸のセルラーホンが着信を告げた。
「ツヴァイ、次のドライブインで待ってるわ」
スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、楽しそうな上司の声だった。 どうやら、僕の仮説は当たった様だ。 既にハイウェイの彼方に消え去った赤いスポーツカーを追いかける様に、僕 は静かにアクセルペダルを踏み込んでいった。
しかし、この時の僕はまだ知る由もなかった。 この後に待ち受ける恐ろしい出来事など。 そう、たくさんのギャング達に銃を突き付けられるよりも恐ろしい出来事を。
「はぁい」
彼女の姿はすぐに見つかった。 ドライブインの駐車スペースの一つに止められた真紅のスポーツカー。先程 僕を追い抜いていった車だ。
フェラーリF40。
既にフラグシップを退いた車だったが、その風体と色は見る者を引きつけて 止まない。 その傍らに立つ彼女を見ていると、まるで雑誌のグラビア写真を見ている様 な錯覚を覚える。 しかし、現実として彼女はモデルと言う訳でもないし、ましてや写真撮影の カメラマン達も居ない。 彼女はこの車のオーナーだ。 彼女の細腕が、このモンスターマシンを操っていると言うのは想像しがたい 物があるが事実だ。 先程、僕のゴルフを追い抜いていった訳だし。
「ねぇ、乗ってみない?」
突然、そんな事を言うクロウディア。 僕は耳を疑った。 仮にも世界最高峰の車の一つだ。そんな、気軽な物を貸すような感覚で口に して良いのか?
「でも、僕は課題が…」 「大丈夫大丈夫、たまにはこう言う本物の車も乗ってみないと…ね」
僕の背中を押しながら、楽しそうに言うクロウディア。 まるで、弟に自転車の練習をさせる姉の様な雰囲気だ。 そんな彼女の仕草に、何処か甘酸っぱい物を感じる。 既に無くしてしまった筈の何かを――。
そうこうしている内に、僕はF40のドライバーシートに押し込められ、ク ロウディアは助手席に座った。
「い?」
実際にシートに座ってみて僕は驚いた。 いや、愕然とした。 きっと目は見開かれ、口はだらしなく開けっ放しになっていたに違いない。
座席位置の低さやシートの無骨さ、各種メーターのシンプルさもそうだが、 それ以上の驚きが、この真紅のスポーツカーには隠されていたのだった。
「…ペダル?」
そう、ペダルだ。 シートから足を伸ばした先には、通常あるべき筈のアクセルペダル、ブレー キペダル、クラッチペダルが付いて無く、代わりに三輪車の様なペダルが二つ、 慎ましやかに設置してあった。
ちょっと待って! ひょっとしてフェラーリって人力駆動なの? …って、 んな訳無いだろ! これはフェイクだ。きっと、クロウディアが僕をからかって楽しんでるんだ。 ね? クロウディア。
しかし、彼女はいたって真面目な顔でこう言った。
「さ、早く走らせてみて」
マジ? マジで人力駆動なの? このF40。 つう事はアレか? さっきクロウディアはこのペダルで200キロ近い速度 を叩き出してたの? そんな馬鹿な! 嘘だ!
いや落ち着け、こう言う時は冷静にならないと。 アインも、『人を騙す時は騙される側に立って、騙される時は騙す側に立っ て考えなさい』って言ってたし…。 そうさ、いくらなんでもそんな事ある訳無いじゃないか。 きっと、このペダルには何か秘密があるんだ。 例えば、この先に超高性能モーターが内蔵されてるとか。
そう心で納得し、ペダルに足を掛けて一回漕ぐ。
「うぐっ!」
お、重い! とてつもない重さだ。 その重さが教えてくれた。このペダルは駆動輪に直結しているんだ――と。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
自然と、口から叫び声が出た。 こんなに叫んだのは、今の生活を送るようになってから初めてだ。 しかし、車は一ミリとて進んでいない。 な、なんて重たい車だ…って当たり前じゃん! そもそも、人が二人も乗っ たスポーツカーを人力で動かすって事自体間違ってるんだから。
「ほらほらぁ、どうしたの? ピクリとも動かないわよ」
隣で俺の必死の姿を見ているクロウディアが、意地悪そうに言う。
そ、そんな…事…言った…って…さっ!
「でいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
全身の力をただ一点、足に集め、叩き付けるように思いっきりペダルを漕い だ。 そこでやっと、俺の必死の努力に車が応えた。 「ガクン」と動き始めるF40…だったが、それっきりで止まってしまった。 何故なら、僕の方が先にオーバーヒートしてしまったからだ。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
無骨なステアリングにもたれ掛かりながら、肩で荒い呼吸を繰り返す。 全身の毛穴と言う毛穴から、決壊寸前のダムのように汗が流れ出してくる。
つ、疲れた…。あの荒野での特訓以上に…。
「くすくす…仕方ないわね」
クロウディアの笑い声。獲物をなぶる猫の様な。 しかし、今は会話のキャッチボールをするだけの元気がない。 せめてもの応対として、恨みがましい視線を彼女に投げかける。
「お姉さんが見本を見せてあげるわ」
僕の視線を、耳元の髪を梳き上げる仕草で軽くかわすと、クロウディアは助 手席のドアを開けた。
横に海が見えるハイウェイを、一台のF40が疾走していく。 海の青、空の蒼、雲の白、車の赤、アスファルトの灰――。 五つの色合いが不思議に混ざり合い、風と共に流れていく。
クロウディアは、確かにフェラーリを走らせていた。しかも人力で。 僕があれだけ苦労した車を、いとも簡単に。 まるで自分の手足を動かす如く、特に意識せずペダルを漕ぐと、静かに動き 出すF40。
これは夢だ。悪い夢を見ているんだ。 このまま瞼を閉じて、そしてゆっくり開けると、いつものあのコリアンタウ ンのロフトで目が覚めるんじゃないか? この車から感じる振動も、実は悪夢にうなされている僕を、アインが起こそ うとしているんじゃないか?
試しに目を閉じ、開けてみる。まだフェラーリの助手席だ。 試しに頬を抓り、引っ張ってみる。痛い。確かに現実だ。
運転しているクロウディアに気付かれないよう、彼女を横目で見遣る。 そこに座っている彼女は、僕の知ってる彼女では無かった。 確かに腰から上はいつもの彼女なのだが、腰から下が違っていた。 絶え間ない高速の運動でペダルを漕ぎ続ける彼女の足。しかも、パンプスで だぞ! 信じられる? 高速のあまり足はぶれ、正確な輪郭を形作ることが出来ない。 しかし、上半身は涼やかに静止している。時たまハンドルに触れている手が 動くぐらいだ。
その姿は、まるで…まるで…。 あー! 思い出せない! …って過去の記憶を消されてるんだから当たり前 だけど、昔テレビかなんかで見た気がする。
「どう? ツヴァイ」
考え事を遮る様に、彼女の声が耳の中へ入ってきた。
「凄いです…」 「ふふふ、でしょう」
クロウディアの唇が、微笑みの形を取る。 いや、僕が言ったのはあなたの事です、クロウディア。 だって、人力で200キロ近い速度を出せるんだもの。 もし、オリンピックにゴーカートが種目として存在しているなら、あなたは 間違いなく金メダルを狙えるよ。
「でも、まだこんな物じゃないわよ」 「え?」 「さぁ、フェラーリのコックピットへ案内するわ!」
やや興奮気味に話す彼女。 一瞬、クロウディアが何を言っているのか判らなかった。
「リズィったらね…」 「はい?」 「自分ではヴァイパーとか乗ってるくせに、スピードが嫌いみたいなの」 「はぁ…」
突然出てきたリズィの話題に、首を傾げながら聞き入る僕。 何で、こんな時にリズィの話なんか…。
「だって彼女ったら、前に私がドライブへ誘ったら『もう、金輪際アンタの運 転する車の助手席には座らねぇ』ですって。くすくす…」
彼女の言葉の真意を判りかねる僕だったが、何故だか嫌な予感がした。 殺し屋として生きる様になってから、危険に対する直感はとても敏感になっ ていた。 そして、それは的中することになる。
F40のスピードが増した。 周りの景色が更に流動的な物へと変わり、高速で流れて消える。 進路上の別の車はおろか、対向車線の車ですら止まっている様に見える。
物凄いGが前方から襲いかかり、僕の身体はシートへ押し付けられた。 肺が圧迫され、息苦しさに顔が歪む。 身動きを取ろうにも、身体が金縛りにあったかの様に動かない。 逆らいようの無い物理法則の前に、精神が悲鳴を上げ始めていた。
恐怖――。そう、僕は殺し屋になってから始めて、心の底からの恐怖を感じ ていた。 一方、運転しているクロウディアはと言うと…。
「ふふ…うふふふ…」
嗤っていた。唇を狂気に歪め、愉悦の表情で…。 この、嘘みたいな高速空間を彼女は楽しんでいた。
「あはははははははは!」
狂女の様に乾いた声で嗤うクロウディア。 しかし、嗤いながらもハンドル操作は的確だ。 車線上の、既に障害物となった他の車を確実にかわしていく。 コーナーリングの際も決して減速しようとはせず、スピードを殺さず突っ込 んで行って、絶妙のタイミングで車体をドリフトさせ、曲がりきる。 悲鳴を上げ軋むタイヤ、右へ左へと揺れ動く車体。
何度、朝食が喉までこみ上げて来たことか…。 はっきり言って、生きた心地がしないぞ。 更に告白しよう! 実は何度かチビりました。…少しだけだが……。
しかし、もっとも恐るべき事は、今のこの現実離れした速度が、全てクロウ ディア一人の人力で叩き出されている点だ。 見れば彼女の足は、高速のあまり止まって見える。 凄い…。人間はここまで進化出来るのか…と言うより、はっきり言って不気 味だ、この光景は。リズィじゃ無くても引くって。
「うらうらうらうらうらぁぁぁぁぁぁっ!」
クロウディアが吼えた。
「何人(なんぴと)たりともぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! 私の前は走らせ ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ! きゃはははははははっ!」
草原を駆ける雌豹の如く。
リズィ…。今なら、あんたの気持ちがとても良く判るよ……。
僕も金輪際、クロウディアの運転する車の助手席には座らない事を心に強く 誓った。
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